背中にあたる掌の温度。

ただいまとか おやすみとか 愛しているよとか。

同じ場所から見ようとすること。【4日目

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一緒に生きるってことは

向かい合って見つめ合うんじゃなくて

同じ方向を向いて歩いていくことだ。って

どこかで聞いたことがあります。

 

その頃妙に納得して、ふむふむと思って

 

「それは相手への思いがあれば、誰だって簡単にできる」と思っていました。

 

でも、今の職場で働くようになって今までとは違う立ち位置でいろいろなことに取り組ませてもらえるようになって

 

ああ、昔の自分はなんて甘い考えでパートナーに寄り添ってもらおうと思っていたんだろう。

とがっつり思いました。(そらすれ違うわ。元彼さんごめんね)

 

特に男の人は、仕事が終わってからも仕事が続いていることが殆どなんですよなあ。

 

わたしの尊敬する上司(男性・役員・カメラマン)さんが

連日動き回っていらっしゃるのに(もちろんパタパタして見せない)

お仕事の後も最近はほぼ毎日飲みの場に参加しているんですね。

 

すごいと思います。わたしにはマネできない。

 

 

わたしは煙草を吸わないけれど

その場で繰り広げられているいろんなことがお仕事に繋がることがあるってことは

なんとなく察してはいるつもりでしたが…

 

煙草の場だけじゃなく連日飲みに繰り出されるといい気持ちがしなかったのです。。。

(そのときはなんでこの人は断らない(断れない)んだろう。って思っていました)

 

いま、身近にそんな風にお仕事終わりのプライベートな時間を割いてガシガシ働いていらっしゃる上司を見て、本当にすごいなあ。あんど ありがたいなあと思っています。

(それで翌日も朝早くからガシガシお仕事しているのだから本当にすごいです。)

 

そして同時に

そういうひとと歩いていくにはきっと

そんな風にされても大丈夫なくらい歩み寄りや二人のいろんな蓄積ができているか

元々お互いそれがちょうどいい塩梅の距離感ってなことじゃないと

なかなかに難しいんだろうなと思いました。

 

恋愛ばっかじゃ生きていけないし

お仕事ばっかじゃいつか寂しいし

結婚のことはしばらく放置したいのだけれど

撮影するお二人に寄り添って撮りたいと思うと寄り添いと感情移入を混同してしまって

撮影のたびに結婚っていいな。。。と思っています。笑

 

誰かいいひとがいたらしょうか…

いかん。今日はそれが言いたいんじゃないんだった。

 

 

年齢というか毎日を自分なりに真面目に生きていると

層が重なっていくようなことを実感できることがあって

そういう日々は

ああ、こんな風に年輪みたいに自身の幹を太くしていきたいなと思わせてくれます。

 

働き方とか先々のことは、やっぱりいまの積み重ねの向こうにしかないんだよな。

 

今日もお日様を浴びて

すこしずつ おおきな樹になっていきたいです。

 

 

来週からは怒涛のスケジュールです。

無事に乗り切ったら誰か

おいしいバウムクーヘンをわたしにください。(年輪つながり)

 

 

それではきっと またあした。