背中にあたる掌の温度。

ただいまとか おやすみとか 愛しているよとか。

001 2016のバレンタインの夜に。

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2016/2/14

NHKでやっていた、森山未來のジドリを観る。
対象者がハンディで自分を撮りながら1ヶ月を過ごすドキュメント。
すべて自撮り。故に酔う。笑
 
タイムリーだなと感じながら、酔いたくなかったのだけれど
どうしても見たかったので堪えて観る。
 
この「ジドリ」は前半と後半に分かれていて
前半は斎藤工だった。
映画製作にも興味のある斎藤と、
そこにそれほど重きを置いていないそぶりの森山。
無意識下かもしれないのだけれど
画の撮り方は抜群に後者が良かった。
 
センスかな。
比較対象があると比べないわけにはいかないものだね。
 
話の中で、森山が
東京のシステマティックの中における「制作」
について話していた。
そして今回、田舎に1ヶ月滞在し、そこで舞台を行う意義について。
 
すごく、良い意味で「自分」を生きているなと感じた。
それは他との関わり方にドライだということではなくて
ある種の責任。
それがとても気持ちよかった。
 
自分で決める。
自分が何者なのか。
自分で決める。
どう生きるのか。
 
広い目で見ているのだと刺さる。
 
何者にも生かされていない。
行き方を選びとった人間の目に見えた。
 
こういう話を、誰かと共有したいと思う。
私はこう感じた。どう思う?
 
これがエゴなら、それでもいいかと思う。
 
自分で決めよう。
自分が何者なのか。
自分で決めよう。
どう生きるのか。
 
野菜室に、入りきらなかったチョコが眠っている。
好きな人に配りながら、いつもより一段降りて関わってみよう。
 
どう「見えるか」を意識している人をみることは面白い。